大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

横浜地方裁判所 昭和37年(タ)7号 判決

原告(反訴被告) アンリー・モリタ

被告(反訴原告) ウタコ・モリタこと武田歌子

主文

原告(反訴被告)の請求を棄却する。

被告(反訴原告)と原告(反訴被告)とを離婚する。

原告(反訴被告)と被告(反訴原告)との間に出生した長男武田菊次郎の親権者を原告(反訴被告)と定める。

訴訟費用はこれを五分し、その四を原告(民訴被告)、その余を被告(反訴原告)の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、

本訴につき「原告(反訴被告、以下単に原告という)と被告とを離婚する。原告と被告間に生れた子武田菊次郎の親権を行う者を原告に指定する。訴訟費用は被告の負担とする」、反訴につき「反訴原告(本訴被告、以下単に被告という)の請求を棄却する」との各判決を求め、本訴請求の原因並びに反訴に対する答弁として、「原告はフランス人被告は日本人で両者は昭和二九年中内縁関係を結び、その後昭和三二年一月二五日婚姻の届出を了して正式の婚姻をなしたものであるが、その間に昭和三〇年一二月二〇日長男武田菊次郎が出生している。

被告は原告と同棲中家事整理の能力に欠け、夫たる原告の身の廻りの世話や家庭内の整頓も不充分の上飲酒癖があつて、しばしば飲酒狂乱して大声を発し、また嫉妬心が強く、原告が午後一〇時過ぎに帰宅すると理由の如何を問わずこれを責める有様で、昭和三二年六月二三日にも原告がたまたま午後一一時頃帰宅するや、被告が飲酒酩酊していたのでこれをたしなめて就寝したところ、嫉妬逆上して突然刃渡二〇糎の台所用庖丁をもつて原告の左足大腿部に斬りつけ、全治約三週間を要する剌創等の傷害を負わせ、そのため原告は二週間の入院を余儀なくされるようなこともあつた。

それで原告は右受傷の日以降被告と別居し、更に昭和三六年一月二九日には被告の同意を得て長男武田菊次郎を引取り、養育をつづけ今日に至つている。

以上のとおりで原告としては今後婚姻を継続するときは如何なる事情や誤解に基いていついかなる危害を加えられるかも計りしれず、到底このまま婚姻を継続することはできない。そしてこのような事実は我民法第七七〇条第一項第五号の婚姻を継続し難い重大な事由に該当するので被告との離婚を求めると共にあわせて、前記の如き事情から長男武田菊次郎の親権者を原告と定められたく本訴に及んだ。なお、被告の主張するような不貞の事実はない。仮りにそのような行為があつたとしても、被告の傷害行為自体が、またそれが被告の性格が残酷であることを、さらに被告は別居に至つた経緯からして婚姻の継続不可能を悟り、昭和三六年六月二七日原告より財産の分与を受けて離婚を承知しながら態度を豹変して原告に新な難題を持ちかけようとしていることが、被告の性格の狡猾、異常であることを示すものであつて、かかる事実からしても原告の本件離婚請求は充分に理由がある」と述べた。

立証〈省略〉

被告訴訟代理人は、

本訴につき「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」、反訴につき「被告と原告とを離婚する。訴訟費用は原告の負担とする」との各判決を求め、本訴に対する答弁並びに反訴請求の原因として、

「被告は昭和六年四月七日北海道小樽市生れの日本人であるが、フランス国籍をもつ原告と内縁関係を結び、次いで昭和三二年一月二五日正式に婚姻届を了してフランス国籍を取得し、その間に昭和三〇年一二月二〇日長男武田菊次郎を儲けた。その後昭和三二年六月二三日、被告が原告に傷害を負わせたため原告が二週間入院し、その以後原被告が別居していることは間違いないが、右傷害は原告の不貞行為に起因するものであり、また長男菊次郎が原告と同居していることも間違いないが、これは原告が昭和三六年一月二九日一週間くらい預りたいと言つて連れ去つたものである。

被告が前記傷害に及んだ事情は次のとおりである。すなわち、原告は被告と同棲をはじめた昭和二八年頃より、横浜市内のヨコハマ・カントリー・アンド・アスレテイツククラブで知り合つた有夫の婦である訴外ウイルヘルミナ・ジエー・クレイン(以下単にクレイン夫人という)と交際をはじめて何時しか恋愛関係におち入り、三、四日の出張には必ず同人を伴い、被告が昭和三〇年夏頃長男菊次郎を戴胎し医師の反対にもかかわらず原告の懇望により身の危険をおかして生むことを決意するなど努力しているのに、原告は何等いたわりの態度を示さず生活費すら満足に与えなかつた。その後原告とクレイン夫人との交際はますます深まり、しばしば外泊をかさね、昭和三一年六月二日原、被告夫婦とクレイン夫人、知人の四名で夕食をとつた際など、原告はクレイン夫人と連れ立つて被告らの面前から姿を消し、翌朝一〇時過ぎ頃紅をシヤツにつけ帰宅する有様であつた。そこで被告は同月中旬頃平然としている原告に問いただしたところ、原告が不貞腐つて就寝してしまつたので少々飲酒していた被告は激情の余り台所用庖丁で原告に切りつけるに至つたものである。被告の時折の飲酒も淋しさをまぎらせるもので、かような被告の行動はすべて原告の行為に起因するもので、原告に若し前記の如き不貞の行為がなければ、右の如き結果を招来するようなこともなかつたのである。被告の行為は妻としてこれ以上の虐待侮辱にたえられなかつた結果であつて、婚姻生活の破壊者は原告である。その上原告が前記傷害により入院中はクレイン夫人が看護に当り、妻である被告を寄せつけず、退院後現在まで両者は同棲中で全く被告を放置してしまつている。その間クレイン夫人の夫エリツク・エー・クレインは同夫人に対し原告との不貞を原因として離婚の訴(横浜地方裁判所昭和三三年(タ)第五七号)を提起して勝訴の判決をえ、その判決は昭和三五一月一九日確定するに至つた。これによつてみても原告の不貞は明らかである。

被告は原告の主張する原因に基づく離婚を争うが、しかし、前叙の事実は配偶者に不貞な行為があつたとき、または配偶者に対する重大な侮辱にあたるから、我法例第一六条により準拠法とすべきフランス民法第二三〇条の夫の姦通、第二三一条の重大な侮辱を離婚原因として、原告との離婚を反訴で請求する。」と述べた。

立証〈省略〉

理由

いずれもその方式及び記載内容により、公務員が職務上作成したものと認められるから真正に成立したものと推定すべき甲第一、二号証によれば、原告は大正一一年(西暦一九二三年)生れのフランス人、被告は昭和六年北海道小樽市で出生した日本婦人であり、両名は昭和三二年一月二五日婚姻の届出をなした夫婦で、その間に昭和三〇年一二月二〇日長男武田菊次郎が出生していることが明らかである。

被告は右婚姻によりフランス国籍を取得した旨主張しているが、フランス国籍法第六条によれば、フランス人と婚姻した外国人配偶者は婚姻により直ちにフランス国籍を取得するわけではなく、国籍取得には帰化を要するとされているところ、本件においては帰化手続のとられた証拠がないから、被告はいぜん日本国籍を有しているといわねばならない。

そこで本件離婚の準拠法につき考えるに、我法例第一六条によれば、離婚はその原因たる事実の発生した時における夫の本国法(実質法)によることとなつているから、本件では夫たる原告の本国法たるフランス民法により律することとなる。ところがフランス民法では、その第三条第三項に「人の身分及び能力は当事者の本国法による」旨の国際私法規定が存するが、右の条文をめぐつて次第に判例が集積され、今日においては「国籍を異にする夫婦の離婚については共同住所地の法律を適用することがフランス法における一般原則である」とする住所地法主義の原則が一般に承認されるに至つている。ところで本件では肩書住所欄記載のとおり、原被告双方とも日本に住所を有しているから、右フランス国際私法上の原則を適用すると本件における準拠法は日本民法となるわけであり、このことはまた我法例第二九条により我国の国際私法規定によつても承認されるところである。したがつて結局本件離婚は日本民法によつてこれを律することができることとなる。

一、そこで先ず原告の本訴請求につき判断する。

弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第三号証(協定書)、いずれもその方式及び趣旨によつて公務員が職務上作成したものと認められるから真正に成立したものと推定される乙第一号証(判決)、同第二号証(判決確定証明)及び同第三号証の一ないし六(一ないし五はいずれも当庁昭和三三年(タ)第五五号及び同三四年(タ)第七号事件の証人調書、六は昭和三三年(タ)第五五号の証人調書)を綜合すると、

原告は昭和二九年頃横浜市内のヨコハマ・カントリー・アンド・アスレテイツククラブにおいてクレイン夫人と知り合い交際をつづけるうち次第に親密になり、昭和三一年秋頃には原告の車でクレイン夫人を伴い神戸のボーリング試合に参加し、翌三二年春頃からはクレイン夫人の夫の出勤後を見はからつて、度々横浜市本牧緑ケ丘の同夫人宅を訪れ、同夫人と連立つて外出し、午後一〇時過ぎの帰宅も稀でないようになつた。右原告とクレイン夫人の行動は同夫人の夫の友人間でもかなり噂されるようになつたが、同年六月二日夕刻原被告夫妻、クレイン夫人それに知人のモーヘツドを加えた四名が、横浜市内のナイトアンドデーで会食した際も、原告とクレイン夫人は被告らの目を逃れて行方をくらまし、原告は翌朝一〇時過ぎまで帰宅しなかつた。

被告はかねてから原告とクレイン夫人の恋愛関係に強い不満を抱いていたところ、右のような事実をまのあたりに見て同月中旬頃、そのことにつき原告と口論の末これに斬りつけ傷害を負わせた。そのため原告は約一二日間入院したが、クレイン夫人は連日の如く原告の病室を見舞い、いつも午後一〇時過ぎまで原告のもので過した。そのためクレイン夫人の夫エリツク・エー・クレインは同夫人を相手どつて原告との不貞を理由に当庁に離婚の訴を提起して勝訴の判決をえ、その判決は昭和三五年一月一九日確定した。その後原被告が昭和三六年六月二七日、被告は原告が提起する離婚訴訟の請求原因並びに提出する証拠を認めて速にその裁判が完結するよう配慮すること、あるいは被告が横浜家庭裁判所へ申立てた原告を相手方とする離婚の家事審判請求を取下げること等を条件にして、原告がその所有の山林、建物の所有権を被告に贈与すること等を協定した。

以上の事実が認められる。前記乙第三号証の五、六の各証人調書の記載中、右認定に反する部分はその余の前掲各調書と対比してたやすく信用できないし、他にさきの認定を覆えすに足りる資料は存しない。

以上の認定からすれば、原告とクレイン夫人の仲は単なる友人の域を越えて性的関係ありと推認するのが相当であり被告の原告に対する傷害行為は、夫から数年にわたり他の異性と親しくするさまをまのあたりに見せつけられた者の耐えられぬ不満に出でた偶発事というべく、もし夫たる原告が婚姻生活における責任を自覚し、被告と協力してその維持発展に努力したならば被告も激情の余り原告に斬りつける等の挙に出るようなこともなかつたであろうことは容易に想像し得るところであつて、本件において婚姻生活を破綻させた主たる原因はまさに原告の不貞にありといわねばならない。

原告は、被告の性格等を指摘して、それが婚姻を継続し難い重大な事由に該ると主張するが、さきの認定事実から明らかなとおり、本件においては原告との間に一子まで儲けた妻をそこまで追いつめるに至つた過程が問題で、単に傷害行為という事実若しくはそれによつて被告の性格に残酷性があり、或いはまた被告が原告との協定に反したことから同人の性格が狡猾で異状性があるとは解し難いから、右主張は採用の限りでない。

してみると、有責配偶者である原告の本訴請求はいずれにしても理由がないから、離婚を前提とする親権者の指定につき判断するまでもない。

二、次に被告の反訴請求について判断する。

原告と訴外クレイン夫人との仲が単なる友人の域を越えて性的関係ありと推認すべきこと前説示のとおりである以上このことは、まさに我民法第七七〇条第一項第一号に定める「配偶者に不貞な行為があつたとき」に該るというべきであるから、これを原因とする被告の離婚請求の反訴は理由がある。

三、最後に原被告間に出生した長男菊次郎の親権者の指定につき検討する。

離婚に伴う子の親権者の指定は離婚の直接的効果として発生する法律関係であり、離婚の準拠法に従うベきものと解するを相当とするから、本件においてはさきに説示したとおり我民法によるべきこととなる。そして長男菊次郎が現在原告の手許で養育されていることは弁論の全趣旨に徴して明らかであり、この事実に原被告双方の年令、経済状態その他諸般の事情を斟酌して考えるときは、長男菊次郎の親権者を原告と定めるのが相当である。

以上の次第で原告の本訴請求は理由がないから失当として棄却することとし、被告の反訴請求は理由があるからこれを認容し、併せて子の親権者を原告と指定することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九二条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 石橋三二 麻上正信 千葉庸子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例